京都カウンセリングルームの方法論
カウンセリングはコトバを使って行います。あたりまえのことのようですが、コトバには力があります。コトバが人間を創っています。コトバによって人間はいかようにも変化します。喜んだり、傷ついたり、寂しがったりします。
したがってコトバが人を変化させます。コトバは心であり、人間の全てを支配する力を持っています。現代の人間はこのことを忘れてしまっているかのようです。だからコトバに対して無感動です。人間が何か困った問題に直面する時、為す術を知りません。だからカウンセラーのところへ人はクライアントとして通ってきてくれます。すべてはコトバの力なのです。コトバが人間の行動を支配し、コトバの命ずるままに人間は行動します。環境もコトバが創り出しています。唯物論的に環境が出来上がるのではありません。また現在流行している脳が全ての元であるという唯脳論的な考え方でもありません。たしかにコトバは脳の言語機能があって発せられるのですが、それだけではありません。人間には心というものがあります。これは心臓にあるものでも脳にあるものでもありません。言霊という言葉がありますが、人間を超えた存在です。
カウンセラーはクライアントのコトバを聴きます。真剣に聴きます。それはただ聴くのではなくて、クライアントの存在そのものの声を聴いているのです。またそのような聴き方をしなければ単なる愚痴を聞いていることに過ぎません。
そうではなくてクライアントの心の叫びを聴くのです。クライアントには必ずしもそのような意識がなくてもよいのです。クライアントは気楽に喋ってくれればよいのですが、クライアントの心の中のコトバを聴きだすのがカウンセラーの仕事です。精神分析学は象徴的なことを捉えていろいろと分析しますが、それではクライアントの心の痛みは本当には癒えません。クライアントは自分のコトバと同じ周波数のコトバの感応を求めているのです。同じ周波数のコトバに出会ったとき、クライアントは心を開きます。それは同時に癒しの始まりでもあります。ですから私のカウンセリングの方法論は、よくカウンセラーが批判的に言われる「聞くだけの存在」であるようなものではありません。また積極的にアドバイスをするようなコンサルタントの役割でもありません。私の方法論はクライアントの内心のコトバをどれだけとらえられるかにかかっています。勿論そのために私は自分の内心のコトバを必要な時には積極的にクライアントに投げかけます。そうすることによって本当に言語の交通が可能になっていくのです。その時はもうクライアントは快方に向かっ ています。私のところに来られる方は来られた時と帰る時とでは表情が変わっています。笑顔に近い表情になっています。それは何故かというと繰 り返しになりますが、カウンセラーである私とクライアントとの間に言語交通 の回路が開けたということを意味するのです。
逆から云いますと、人間の日常生活が、いかにコトバに対する信頼を失っ たままの生活であるかがよく分かります。それは家庭においてもそうですし、職場や学校においてもそうです。勿論現象的には言葉は溢れています。
が、しかし、内心のコトバを聴いたり、発したりする機会を現代人は喪失しているのです。私はカウンセラーとクライアントとの関係性とは、現 代人に失われた言語活動を復活させる活動だと捉えています。






